「聞いてません」
「教えてもらってません」
「知りませんでした」
「見てませんでした」
職場でも学校でも、こんな言葉をよく耳にします。
でもそのたびに、ふと思うのです。
なぜ、そんなにも“受け身”なのか?
- なぜ責任が、いつも相手にあるのか?
- 自分には、何の落ち度もないのか?
本当にそうなのでしょうか?
- 自分は「聞こう」としたのか?
- 自分から「確認」しようとしたのか?
- 「教えてください」と、声をかけたのか?
- わからないことを、自分から「調べよう」としたのか?
- 見るべきものを、ちゃんと「見よう」としたのか?
「誰かが教えてくれる」は、もう通用しない
自分から動こうとしない限り、
誰があなたの成長を助けてくれるのでしょうか?
そして、なぜその成長を、他人が責任持たなきゃいけないのでしょうか?
確かに、現代は「教え方」や「伝え方」が重要と言われます。
でもそれ以上に、
【学ぶ側の姿勢】がなければ、どんな言葉も届かない。
主体性が、人生を動かす
成長とは「してもらうもの」ではなく、
「自分で取りに行くもの」だと思うのです
- 聞くのを待つのではなく、自分から聞く。
- 教えられるのを待つのではなく、自分から学ぶ。
- 見せられるのを待つのではなく、自分から見ようとする。
あなたの成長は、誰かの仕事じゃない。
あなた自身の責任であり、あなた自身の特権なのだとおもいます。
「聞いてません」ではなく、
「教えてもらえませんか?」
「知りませんでした」ではなく、
「自分で調べてみます」
その一歩の違いが、人生を変える大きな差になとおもう。
いまはチャットGPT含め色々ありますが
結局はあれらも
主体性がないと何も始まらない
全ては自分からだと言うことだと思います。