義務教育
義務なので、もちろん行かなければならない
ルールであり、守らないといけないことかもしれませんが
一つの学び舎で、決まった通りのスケージュールを過ごし
そして同じことを学び、協調性を学んでいく
勉強一つにしても、もしかすると人それぞれの個性や長所を奪うことになっているかもしれません
勉強を好きな子もいれば、嫌いな子もいるから
みんなやらなければならない暗黙のルールがあるから
強制的に学ばせてたり、嫌でもしなければならない
それは
みんなと同じことをする、嫌なことを我慢してやるということを
教えている環境だと思ったりします
確かに義務教育だから大事なのかもしれないけど
みんなが同じ勉強てどうなのでしょうか?みんなが勉強好きなのかな?
サッカーは?釣りは?読書は?料理は?
料理が嫌いなのに料理をさすことはないと思うし
勉強だから、将来に役に立つからという名目でやらされていると思う
人にはいろんな好きが有るはずだけど
それらを小さいころから専念することはできない
基礎教育が大事ということもわかるけど
本当に必要なことは自分で学ぶはずだと思います
もし小さいころからケーキ作りが好きならば
計算も必要なら、勝手に学ぶだろうし、
もちろん物理的な要素もある
もし
人がやりたいことをやり続けていたらどうなるのだろうか?
そんな人がたくさんの世の中になったらどうなるんだろうか?
学校教育で行われる勉強
同じように学び、給食も同じものを食べ、同じ時間を過ごしていく
嫌いな勉強もあるし、食べたくないものもある
そしてゆっくりしたい時間もある
人間なので、さまざまな感情はめぐってくるはずだと思いますが
そんな自分の想いを無視し、言われたから、ルールだから、規則ということで
我慢を強いられたり、嫌でもやったりしないといけないことが出てくる
そしていつしかこんな言葉が出てくる
【みんな嫌なことしてるんやから、わがままいったらあかん】
【我慢してやらないといけないよ】
【自分の想いとおりにはならないよ】
【好き勝手しちゃだめ!】
不思議ですよね
嫌なことをして、挙句の果てには他人にもそれを押し付けてしまう
好きなことをして生きている人って
嫌なことをしないから、押し付けることもないし
自分が苦手なこと、嫌なことが分かっているから
素直に人に頼めるし、逆に自分の得意を生かして周りの役にたってたりする
世の中ってそんなことで良いのでは?と思うわけです
十人十色、人それぞれと分かっているのに
義務教育だからということで、同じことを学んでいることに違和感をとても感じるのです
だから
考える力を奪ってしまったり、自分の想いを尊重できなかったり、生きることに不安を覚えたり
そしてその皆が同じことを学んでいくという違和感は、人それぞれの個性さえ奪っていく
もしかした
〇〇の天才はいっぱいいるかもしれませんが
埋もれている可能性大ですよね
人生は自由だ!もっと自分の気持ちに気づいて
小さなことでもいいから行動に移してほしいですね。
それは子供たちもそうですが
僕たち大人一人一人も、見えないしがらみから抜け出す時がきているかもしれませんね